銀の馬車道劇団

銀の馬車道劇団

人情喜劇「銀の馬車道」劇団「銀の馬車道」は、明治時代の銀の馬車道沿線の村々を舞台に、当時の人々が地域を思う気持ちを人情喜劇にしたものです。劇団員は、銀の馬車道沿道に住む地域の人を中心に構成され、松竹株式会社、劇団赤鬼など、多くのプロの方々の協力の元、演劇を上演しています。

人情喜劇「銀の馬車道」劇団
姫路コンベンションサポートでは、明治時代を舞台に、笑いあり涙ありの人情喜劇を地域のみなさんと一緒に作り、地域資源を地元から発信しようと「人情喜劇 銀の馬車道」を制作し公演しています。

①時代背景

「銀の馬車道」は正式名称を「生野鉱山寮馬車道」と言い、フランス人技師の指導の下、明治9年に生野銀山~飾磨津(現姫路港)の間、約49kmを結ぶ馬車専用道路として造られました。採掘・製錬に必要な機械や物資、産出された銀などを運ぶ馬車が、雨などの天候に左右されず、スムーズに走行できるように、当時のヨーロッパの土木技術が用いられ、”日本初の高速産業道路”と言われています。また、明治28年には生野から飾磨港までを結ぶ「播但鉄道」が開通するなど、市川流域の交通網の発達は、日本の大都市に匹敵する流通の大動脈として、近代日本の産業経済の発展をリードしました。鉄道の開通とともに徐々にその役割を終えた馬車道ですが、完成から約135年が経過した今もその大部分が国道や県道などとして使用されています。
銀の馬車道ネットワーク協議会では、「銀の馬車道」をシンボルに掲げ、地域の元気と賑わいづくりを目指す取り組みを展開しています。
銀の馬車道ネットワーク協議会 http://www.gin-basha.jp

②人情喜劇「銀の馬車道」あらすじ

明治期の殖産興業の面から生野鉱山の重要性が増し、フランスからの技術を導入して増産が図られ、明治9年(1876年)には飾磨港から生野間に生野鉱山寮馬車道(生野銀山道)が整備されました。日本初の産業高速道路と言われています。

【第1話 平成19年10月から平成24年3月まで上演】

舞台は明治6年、秋祭りの時期。福崎町辻川の庄屋に、祭りの酒で血走った船頭達と喧嘩になったフランス人医師が逃げ込んだところから始まります。 船頭達はフランス人が入植してきたことにより、仕事がなくなってきたと逆恨みを抱いているのです。この庄屋には、フランス人との間にできた混血の赤子を預 かっており、親仏派の女主がおり、船頭頭を勤める弟は反仏派で仲が悪い。そんな所に怪我をした船頭が運び込まれ、医者がいないので困っているとのこと。隠 れて聞いていたフランス人医師が喧嘩の相手ながら、医師の使命感から診察をし、手術をすることになります。その様子を見ていた反仏派の船頭達の心が開かれ ていき、一緒に銀の馬車道建設を行うことに・・・。

【第2話 平成26年9月から上演】

明治時代のはじめのこと、銀の馬車道が開通してから生野の町は活気にあふれています。来月には新銀山工場が落成し伊藤博文閣下も生野にお越しになる。そんな慌ただしい中、役人と揉め事を起こして村を飛び出した郷宿市川家の息子が突然村に帰ってきたことで騒動がおきます。銀の馬車道を通じて村が世界に開かれる時代の流れと、激動の時代に暮らす人達の心の動きをお楽しみ下さい。

③事業目的

(1)子どもたちの力を伸ばす

子どもたちの読書離れが指摘される中、演劇は台本を読み(読書力)、それを分析し(解釈力)、表現する(表現力)という3つの要素を備えています。教育の場として演劇を活用します。

(2)世代間の交流

出演だけではなく大道具や小道具も自分たちで制作し、「裏方」と呼ばれる作業も参加者(公募)で制作しています。作る(創造力)ことのすばらしさと世代間の交流の場を提供したいと考えています。

(3)地域の資源の発信

人情喜劇銀の馬車道は、上演市町と参加する人たちによって台本を書き換えています。その村々の歴史を参加する人たちの表現力で、地域資源のすばらしさはもちろんのこと、住民が力を合わせて伝えることの大切さを伝えたいと思っています。
芸術が地域を作りだす「創造芸術」がここにあります。

④銀の馬車道劇団概要

 銀の馬車道劇団は素晴らしい地域の歴史文化とその魅力を地域住民の手で発信しようと、松竹株式会社の協力により平成19年に結成されました。以来、銀の馬車道沿線の各市町において人情喜劇銀の馬車道を毎年上演しています。舞台の上に立つ役者だけでなく、大道具、小道具、衣装なども全て団員による手作り。役者をサポートするのも全てメンバーの家族であり、地域のみなさんです。仕事や学校の都合などで毎回メンバーは違いますが、団員の子どもたちの成長を見るのはとてもうれしいものです。プロにも参加いただき、本格的な演出、舞台装置、音楽制作があるのもこの劇団の特徴です。この演劇の趣旨に賛同した松竹株式会社が全面的に制作協力をし、脚本・演出は松竹チーフプロデューサーの上田浩寛さんがつとめてくださっています。
これまでにも渋谷天外さんをはじめといるプロの俳優も多数参加していただきました。プロの役者が素人劇団の指導をすることはあってもいっしょに舞台に立つということはまずありえません。この常識を覆す体験は子どもたちにとっても、より大きく成長する機会です。

これまでの実績

福崎町立田原小学校 渋谷天外(松竹新喜劇) 平成19年10月31日
キャスパホール いま寛大(松竹芸能) 平成19年12月6日
姫路市市民会館 岸田敏志(歌手) 平成20年8月23日出演
市川町文化センター 平成21年1月18日
姫路市市民会館 桂米團治(落語家) 平成21年5月6日
福崎町文化センター 渋谷天外(松竹新喜劇) 平成21年10月31日
福崎町文化センター 平成22年8月28日
姫路市花北市民センター 平成22年8月29日
市川町文化センター 岸田敏志(歌手) 平成23年1月16日
姫路市花北市民センター 平成25年3月20日
生野町マインホール 渋谷天外(松竹新喜劇)
藤山扇治郎(松竹新喜劇)
平成26年9月7日
神河町グリンデルホール 藤山扇治郎(松竹新喜劇) 平成27年7月26日
福崎町文化センター 渋谷天外(松竹新喜劇)
藤山扇治郎(松竹新喜劇)
平成28年9月4日
市川町文化センター 藤山扇治郎(松竹新喜劇) 平成30年1月14日
姫路市市民会館大ホール 岸田敏志(歌手)
藤山扇治郎(松竹新喜劇)
平成30年8月19日